今回はピアノ・ソルフェージュ講師/中村美貴先生のインタビューその3です。

その1 その2

 

 

スタッフ

幼稚園時代から高校まで同じ先生に習われていたということで、強い絆と思い出があるように感じます。

それに関連しての、またその他にも大切な思い出がありましたらお話しください。

 

 

中村

小学校時代の音楽教室の仲間はかけがいのない存在です。

小学校低学年から始まった音楽教室の仲間は最初10人でしたが、最終的に7人も残り、さらにそのうち4人が音大に進みました。すごいですよね。

先生は厳しくもありましたが、その人間性、音楽を私たちは尊敬していたのです。追いかけたくなるような先生でした。

幸いに今でもお付き合いさせていただいていますが、生徒のために夜中まで準備されているのは相変わらずで、本当に素晴らしい先生です。

 

先生が教えてくださった喜びの一つには、アンサンブルの楽しみがあります。

①でお話ししたオーケストラの曲をみんなで一緒に演奏した思い出は強く残っていて、みんなで演奏する喜びを自分の生徒さんにも伝えたくて、レッスンや演奏の中にもアンサンブルを取り入れています。

ただ一緒に演奏するだけでそんなに喜びがあるの?とお思いになられる方もいるかもしれませんが、本当にありますし、仮にそれが些細な喜びだとしてもその子の人生を豊かにすることがあります。レッスンで大事にしたい点です。

 

また大学時代のピアノの恩師にも強い思い出があります。

大学で私は教職を取っていたので、4年生の初夏には教育実習に行く予定になっていました。

先生は、その教育実習の3日後にあるオーケストラとの演奏会に私をソリストとして抜擢してくださいました。

 

しかし実習生にとって教育実習期間中は大忙しで練習なんかできません。

そこで先生に「教育実習を来年にしたい」と覚悟をお伝えしたところ、「これも人生だから」と諭され結局予定通りに演奏しました。

とても苦しむことになりましたが、3週間、指導案を夜中まで書きながら、そこから練習をして臨みました。

 

ふだん寡黙な先生の一言は、私にズシリと重く響き、私を一回り成長させてくれたのです。

どんな大変な時でも踏ん張る、挑戦する姿勢を教えていただきました。

しかしその後、すぐに先生はお亡くなりになられてしまったのです。

私は先生の音楽や音が好きでしたので、その後、先生が留学されていたハンガリーに私も留学しました。

 

このように回顧してみると私にとって先生の影響って本当に強いのだなと思います。

 

長くなってしまったので短めにお話ししますが、その後ハンガリーのリスト音楽院に留学しました。

ハンガリーでは、「待っていては何も始まらない」ということを学びましたね。

外に出てどう歩く、どこで何を売っているかもわからない状態からのスタートです。

幸運にサポートをしてくれる日本の方もいましたが、自らが進まない限り、生活もレッスンも始まりません。

 

ただ当時のハンガリーは既に情勢も落ち着いていて、何不自由ない生活ができました。

物価も日本の半分位で過ごしやすかったです。

 

その4へつづく)